3つの感動...長野県「東御市」で自然とパンと人の優しさに触れてきた
パンが好きです。ナカ(@naka_yomogi)です。
4月17日に「山の上のパン屋」としてTwitterトレンドにあがった「わざわざ」さん
山の上のパン屋に人が集まるわけ|平田 はる香|note
すばらしい。熱意、柔軟さ、分析力に驚きます。
2018/04/17 06:54
すばらしいnote記事とおいしそうなパンに惹かれて長野県東御市へ一人旅に行ってきました。
そこでの3つ経験に感動してしまったので長野県東御市を紹介します。
軽井沢から、しなの鉄道「滋野駅」へ
鉄道ルートなので新幹線で上野駅から軽井沢まで行き、しなの鉄道線へ乗り換えて滋野駅へ行きます。
しなの鉄道内は電車の間隔は1時間に1~2本ほどなので降りる駅を間違えると少々待つことになります。(一度手前の小諸駅で下りた 汗)
無人駅...ではありません!ですが改札はなくホームの駅員さんに切符を渡します。
駅前にタクシーが停まっていましたが、この徒歩ルートで目的地へ向かいます。
駅を出てしばらくこんな感じの畑を横目に道路を進んでいきます。道路はちゃんと舗装されています。
日本を代表する自然「信濃川」と「浅間山」
日本最長の川として有名な信濃川、信濃川と呼ぶのは新潟で長野では千曲川(ちくまがわ)と呼ぶそうです。知ってました?
と言いつつ看板は信濃川...あれ?
地元の相模湖は神奈川の水源の一部なので、こういう景色を見るとこの信濃川(千曲川)が長野や新潟の人達の暮らしを支えているんだなぁと感じます。
少し歩くと見えてくるもう一つの目玉、
長野の街々を背にドッシリと構えている浅間山に圧倒されます。
麓では浅間山が一つ飛び出して見えるだけですが、東御市は浅間山と連なる浅間連峰に囲まれています。
道の駅みまき
近くのデイケア施設が道の駅なのかと思いました。ちょうど売店や食堂が閉まっていて...
を後にして、いよいよ坂道に突入。
4月にしては気温が高く予想以上に体力が持っていかれて、ぜぇぜぇ言っていると...
うわぁ!と一人で声を上げるくらいの思わぬ絶景に遭遇しました。
桜と梅(かな)のトンネル です。
散ってしまった後も地面に広がる桜の絨毯となりとても綺麗でした。
満開の時はさらに綺麗だったんだろうなと想像ができます。
さらに坂を登っていきます。
田園の広がる開けた場所に出ます。ここまで来たらあと少し。
ここまで登ってくると麓では一部しか見えなかった浅間連峰が思わず息をのむような景色を繰り広げてくれます。
山はいいですね。雄大な景色は抱えている悩みとかをちっぽけでどうでもいいことだと思わせてくれる。
いよいよ山の上のパン屋「わざわざ」へ
もう少しこんな感じの道を進んでいくと
見えてきました
山の上のパン屋さん「わざわざ」さん
看板等はありませんが、note記事の画像に店舗の写真が載っていたのですぐに分かりました。
写真を撮りながらゆっくり来たのでここまで来るのにだいたい2時間くらい。
いざ入店
まず日用品の棚を見に行きました。バターナイフに惹かれましたが、今回はひとまずジャムや紅茶といった食品関係のみ選びパンとお菓子が並ぶショーケースへ。
店員さん「全部のパンとお菓子が少しずつ入ったセットがありますよ~。」
せっかくだし自分で選んで買おうか。
ひたすら目移り。
どれをお昼に食べて、どれを持ち帰って...日持ちするものじゃないし思ってたより一つが大きいからどれくらい買おうか...うーん...
結局全部セットを買いました 笑
お店の雰囲気もお洒落でまたわざわざ来たくなるお店でした。
ずっしりボリュームのレーズンカンパーニュは絶品。
人の優しさに触れる
ショーケースの写真を撮る時に写真を撮ってもいいですか? と尋ねたら快く了承してくれ、購入した商品も預かってくれたり親切な対応をして頂きました!
さぁ山を下るぞと歩いていると、近くに車が停まって
「歩いてきたんですか?」と声をかけられた。
「もしよければ乗っていきますか?」
歩くことは嫌いじゃないしむしろ趣味が散歩なくらいだけれど、乗せてもらえるならぜひ。
この辺りに住んでいる女性の方で、たまたま珍しく歩いている人を見かけたので乗せてくれたそう。
やはり徒歩で来る人は珍しいようで、2時間近く歩いてきたことを伝えると驚いていました。
車の中で、どこから何をしに来たのかとか趣味の話やお互いの仕事に関する話をしました。
一期一会の出会いなんて漫画やドラマの中だけだと思っていたので、とても楽しかったです。
次の目的地の海野宿まで送ってもらって別れました。
海野宿(うんのじゅく)
中山道と北陸道を結ぶ北国街道その江戸時代に宿場町として栄え参勤交代の際に、大名の宿として利用されました。
名前はこの付近で栄えた海野一族に由来し、源頼朝に仕えた海野幸氏は武田氏に滅ぼされ、その名跡を真田氏が継承した歴史がある。
風情のある街並みは必見。なんとコワーキングスペースも あります。
明治時代に入り宿場制度が終わると養蚕業を生業として栄えることとなります。
この流れ、相模原市にある吉野宿と同じ流れなんです。
興味を持ったので資料館へ。
ガイドの方から「こんな若い人が来るのは珍しいよ、また来てね!」と言ってくれたのが印象に残ってます。まるで親戚のおばちゃんのような優しさを感じました。
色々説明を聴いたり展示物を見て勉強...
明治時代、花形産業だった養蚕は広いスペースを必要とし相部屋を提供していた宿は最適な場所だったようです。
他の宿場町も同じ変遷を辿ったのでしょうか。
時代に合わせて事業の形を変えていく。
奇しくも「わざわざ」の経営のやり方に通ずるものがあったり、働き方改革が叫ばれライフスタイルが変化しつつある日本の姿と重なりました。
臨機応変さと逞しさが生き延びていくには重要だということを、歴史に裏付けされた事実から学びました。
まだまだ訪れられなかった場所もあって伝えきれていない魅力をもありました。「東御市」に遊びに行ってみて下さい。